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2010.1.26 福島県観光情報 白河だるま市

福島県観光情報 Fukushima-tour information
白河だるま市
「白河だるま市」は白河地方に春を告げる伝統行事で、文明年間の頃から毎年、白河の商店街で行われ「花市」と呼ばれていました。勝花、農作物等が呼び声高らかに売られ、近郷の男女が群れ集まりました。
白河だるま市 Shirakawa tumbling doll iti この市は、小峰城の城主・結城朝光の子孫、九代目の城主・小峰弾正小弼が農業に功績のあった鍛冶勝右衛門に二尊を与え、お仮屋を作り奉祭をさせたことに始まります。その後近郷の農民、商人がその日を市の形態に作っていきました。白河だるまは眉には鶴、口髭には亀、口の下には竹、顔の両方には梅と松を模様化したもので、全体に福々しい感じがあり、「鶴、亀、松、竹、梅」を取り入れた縁起の良いものとして好評を博しています。
 毎年、2月11日に白河だるま市は行われ、約15万人の人出で賑わいます。

白河だるま市の起源
 白河市八竜神社の門前に五日市場、十日市場の地名が残っていたことが示すように鎌倉期(結城家が白河を支配)から白河には、市場町が形成されてきました。その後近世に入り、徳川幕府によって支配地の再編成が行なわれ、丹羽長重公によって白河藩が成立し、城下町が整備されるに従い、商業の繁栄を助成するために新たに市が導入されたのです。
 この時代に日本各地に定期の市が活発に行われるようになった。市は丹羽長重公の築いた小峰城(白河城)大手門の高札場の側に、伊勢明神のお仮屋を営み、多くは造花を捲藁に挿んで売っていました。このため、この市を名づけて「花市」と称し、伊勢明神の尊像は室町期の領主小峰弾正小弼が所持していたものと白河風土記に記してあります。
 商物は先祖の墓に献ずる造花(ザラ花)が主であり、正月の縁起物のだるま、恵比須大黒及び稲荷様等も一緒に売られていたようです。また、公も「だるま大師」の絵を画かれている。これが、福々しいだるまとして全国に名高い「白河鶴亀松竹梅だるま」である。眉毛は鶴、髭(ひげ)は亀、耳髭は松と梅、あご髭は竹を表しています。
 白河だるまには18種類の大きさがあり、領民は初市でこのだるまを買って神棚に献じ、毎年一回りずつ大きなだるまを買い換えました。以来、花市より白河だるまが有名になり、今では日本一のだるま市として知られています。

白河だるま市
開催日:毎年2月11日
開催地:白河市商店街

福島県観光ホームページ
※写真は、福島県観光協会より提供をいただいて掲載しています。