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2009.11.28 福島県観光情報 長楽寺・本庄繁長墓所 天地人シリーズ

福島県観光情報 Fukushima-tour information
長楽寺・本庄繁長(ほんじょう しげなが)墓所天地人シリーズ
本庄繁長墓所 福島城跡の近く、長楽寺に「松川の戦い」で伊達政宗の猛攻を退けた本庄繁長(ほんじょう しげなが)の墓所があります。「松川の戦い」で伊達政宗の猛攻を退けた福島城の城主の本庄繁長は、上杉謙信の代から仕える勇猛の将として知られています。「松川の戦い」の当時は60歳という老将ながらも奇策を駆使し、伊達政宗を退けました。

上杉家の存続のために!!本庄繁長(ほんじょう しげなが)の奮闘!!
関ヶ原の戦いが東軍の勝利に終わり、徳川家康に対して抗戦を継続すべきか講和すべきか軍議が行わた。直江兼続は抗戦継続を唱えたが、本庄繁長は上杉景勝に講和を勧めた。景勝は繁長の意見を容れて終戦工作を開始し、繁長に上洛して折衝にあたるよう命じた。上洛した繁長は伏見留守居役・千坂景親と協力して終戦工作に奔走。その結果、繁長らの努力が実って上杉家は存続を許されたが、会津120万石から米沢30万石へと減封された。これに伴い繁長も3300石に減俸されたが、引き続き福島城代を務め、上杉家重臣として家中の再建にあたった。

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