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2009.12.1 福島県観光情報 直江城州公鉄砲鍛造遺跡の碑 天地人シリーズ隣県観光スポット

福島県観光情報〜天地人隣県観光スポット〜 Fukushima-tour information
直江城州公鉄砲鍛造遺跡(なおえじょうしゅうこうてっぽうたんぞういせき)の碑〜天地人シリーズ隣県観光スポット〜

慶長6年(1601年)、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石に減封され、それに伴い兼続も米沢に入り、城下町の整備を行うととともに、その陰では戦いの準備とも言える鉄砲製造に着手した。
直江城州公鉄砲鍛造遺跡(なおえじょうしゅうこうてっぽうたんぞういせき)の碑 関西方面から鉄砲師を呼び寄せ、人里離れた白布高湯(現白布温泉)で火縄銃を製造させました。もともと白布高湯は鉄砲製造に必要な石炭、火薬の原料の硫黄が豊富で、造られた鉄砲の数は1000挺にのぼるといわれています。
 また兼続は、鉄砲の撃ち方などを記した「鉄砲稽古定」を発し、射撃訓練を奨励しました。
 この鉄砲製造と射撃訓練奨励は、「大阪冬の陣」で成果が発揮され、後に徳川秀忠より感謝状が贈られています。

米沢藩の火縄銃
米沢城下には鉄砲町と呼ばれる町があります。直江兼続は、鉄砲にかかわる職人を藩外から招き、白布高湯で火縄銃を製造させ、後にこの任務を終えた鉄砲職人が移住した町です。彼らはそこで、鉄砲の製造や修理を続けました。
 米沢藩の鉄砲(火縄銃)は大きく重く、大筒と呼ばれるものに近いタイプの鉄砲もありました。これらの鉄砲は、白布高湯で直江兼続が研究・開発させたものと言われています。
米沢藩の鉄砲が大きいのは、音を大きく響かせることで、騎馬隊の馬を驚かせ、動けなくすることに狙いがあったのではないかという説もあります。
そしてそれらの火縄銃を取り扱う訓練を怠りませんでした。現在の白子神社近く(現在の警察署近辺)に馬場を設け、そこで鉄砲の訓練をしていたと伝えられています。

福島県からは、国道13号線にて山形県米沢市へと行くルートと西吾妻スカイバレー(紅葉、新緑がすばらしい)を通って、猪苗代湖・桧原湖方面(郡山・会津方面)から来ることができるルートがあります。
※西吾妻スカイバレー(西吾妻有料道路)は、30年間の料金徴収期間満了により平成15年7月1日から無料開放となりましたので、現在無料で通行できます。また、冬季期間(11月初旬〜翌4月下旬)は閉鎖になりますので、注意してください。

直江城州公鉄砲鍛造遺跡の碑(なおえじょうしゅうこうてっぽうたんぞういせき)
場所:白布温泉(山形県米沢市)

福島県観光ホームページ
※写真提供:伊澤孝夫