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橋本顧問のひとりごと2013年2月号 顧問のバレンタイン

顧問のバレンタイン

2月4日(月)の朝礼で顧問橋本静昌が話した内容
バレンタインの日をすぎて迎えて・・・。

2月4日(月)の朝礼で顧問橋本静昌が話した内容
Angel バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味で、バレンタインというのは、人の名前だったのです。
 では、どんな人だったかというと・・・。
 西暦3世紀のローマ(イタリア)でのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268−270)は、ローマ軍に属する兵隊たちが恋人や友人と離れるのを嫌い、また結婚したものは国よりも家庭を大切にするあまり、戦いに参加しなくなることを恐れ、ついに結婚もしくは婚約をを禁止してしまいました。だが、イタリア中部にある町(現在のテルニ)のキリスト教司祭であるバレンティヌス(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、その掟を破り密かに結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったのです。
皇帝は、バレンタインに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、彼はそれを拒否したため、投獄されました。
 彼は、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンタインと親しくなりました。そして、彼が彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンタインは西暦269年2月14日に処刑されてしまいました。
 では、バレンタインデーはどのように始まったのか?ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年も行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、当たった娘と祭の間または1年間付き合いをするというものです。
 しかし、496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。禁じた代わりに、女性の代わりに聖人の名前を引かせて、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますという違った方法のくじ引きを始めました。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンタインを、新しい行事の守護聖人としました。次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。
 日本ではどうしてバレンタインの日にチョコレートを贈るのでしょうか?女性が男性にチョコレートを贈るのは日本独自の習慣で、欧米では恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。
日本でチョコレートを贈るのは、説は様々ありますが、兵庫県神戸市の洋菓子店神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)の創業者バレンタイン・F・モロゾフという名前だったことから、自分の名前を宣伝に利用して「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告が始まりとされているようです。

バレンタインの日を迎えて・・・。
バレンタインチョコ あれから10日たち2月14日がやってきました。私共の総合南東北福祉センターでも従来からバレンタインデーには女性からチョコレートのプレゼントが届けられていたが、今年は講話を通じて私自身バレンタインデーに関して初めて知識を得たので、この話がどこまで通じて(若者同士のロマンス)いて老年者は外されるのではと不安と期待が交差するも、当日は各事業所の女性スタッフ等から心のこもったチョコ等が届き、自然に笑みがこぼれる。今年も義理チョコであることには間違いないが、何となく嬉しくなる。今宵は、百薬の長の肴としてチョコレートを摘まみながら女性陣のますますの活躍と健勝を祈り、度を越さないようにいただきます。乙な味が美味い!!幸せ〜。