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顧問のひとりごと 「私の三箇日」

 東日本大震災から3回目の正月、今年も孫達は寒いからとの事で、私達が出掛ける事になる。暮の31日郡山を発、東海道、山陽新幹線に乗換え、車中雪を頂いている富士の勇姿を眺めながら孫の待つ姫路へ。街中は年の瀬で混雑。
大晦日は孫を中心に除夜の鐘で新年おめでとう。と同時にお年玉を、今年の初出費となる。元日は皆で雑煮等を、私は暮からお神酒と称して百薬の長を、孫にたしなめられる場面もある。2日は近所の神社に初詣に、大通りには今年の大河ドラマ黒田官兵衛の膝元とあって軒並み幟が立っていて、地元の熱の入れようが垣間見られる。神社には長い行列が、待ち切れず門前でのお参りで済せ、デパートで買い物を。私達も土産を求める。今夜は双方の両親を交えにぎやかに過す。3日は早くも私達の帰郡の日、皆に送られながら駅へ。なんと新幹線が運転見合せ中との事。係員に問うも再開時間不明、因に8時30分発電車がこの時間(10時30分)発車していない、しばし呆然となる。
昨日の初詣でしっかり参拝しなかった?一瞬頭を蘇がえる。一度家に戻り再開を待つ、皆から泊ったらと云われるも仕事始めの日なので帰る事に。12時頃再開した旨メール有、駅へ。まだ電車は一本も発車していない、既に私達の電車の時間は経過している。取り敢えず皆で来た電車に、しかし全て新大阪止まり、ここからが私達には戦争となる。初めての新大阪ホーム、どこも大混雑、係員は捕まらない、放送も聴き取れない程、ホームを渡り歩く。どこも行列、ようやく探してホームへ、15時を回る、行列に並ぶ、入って来た電車の自由席は150%の混み具合。私達にはここ数年経験がないので、とにかく必死、運良く次の駅(京都)で下車する人が居て座る事出来、18:30頃東京着。ここで遅れた証明をもらうため更に並ぶ、ようやく19:15発東北新幹線にて帰郡、駅で払戻しをし21時帰宅、長い旅となる。つかれた!!

総合南東北福祉センター
顧問 橋本静昌